昔のこと
昔のことを思い出すと、悪い記憶が圧倒的に多い。
自分の気持ちに寄り添う為に、この場で振り返ろうと思った。
感情と思い出したままに、書き殴って行こう。
小学校の時、とっても苦手なMという女がいた。気が強く、いじめっ子で冷徹な女だ。私は特に仲良くもないが、授業などで関わるとキツイことを言われる。私の物を踏んだりしても謝りもしない。恐ろしい程ムカついた。でも、私は無力だった。あんな冷徹な女は消えてしまえば良いんだ。
無のわたし
あ〜私って誰からも素敵だと思われない存在なんだ。
愛されない存在なんだ。
愛されたいなぁ。
愛されたいなぁ。心が欠けてるよ。
毎日寂しいもん。辛いもん。
周りが羨ましいもん。
寂しいんだもん。人の温もりが欲しいんだもん。
それってダメなことなの?いけないことなの?
あーやだやだ。
愛されたいなぁ。
怒り
私は「怒り」が物凄く苦手。怒っている人、イライラしている人とかを見ると本当に胸がキューっと詰まる。
ズバリめちゃくちゃ怖い。
ナイフで刺される方がマシだと思うくらい怖いんだ。
でもな、もしかしたら、そんなビビリで小心者の私がめちゃくちゃ怒りを抱えた人間なのかもしれない。って思ってきた。
ムカつく死ね死ねエピソードなんてたくさんあるよ。
・小さい頃、ばばぁにめちゃくちゃ怒られた。普通小さな子に大してそんなに怒るか?ってくらい怒られた。
・ゴミ収集車の人が、邪魔になっている通行人に対して、ありえないくらいの勢いで怒鳴り散らしていた
・バイト先のじじぃが、少しでも分からないことがあってもたつくと、めちゃくちゃキレ始めた
・道でぶつかりかけたヤンママに、明らかにお互い様なのに、一方的にキレられた
・高校の時に、ちょっとしたことなのに、知らない先生にめちゃくちゃ怒鳴られた
めちゃくちゃ怖かった。
それと同時にめちゃくちゃ腹が立った。
お前、そんな人に対して偉そうに怒鳴り散らせる程大層な人間なのか?って。
まさか自分が
まさか自分がモラハラのような精神的DVの被害に合うとは思わなかった。
それに、気がついたのも別れてしばらく経ってからだ。友人から言われたり、冷静になって過去を振り返られるようになって初めて気がついた。それでも最初は信じられなかった。心のどこかで、自分がそんな男性と付き合っていたということを認めたくはなかったのだと思う。恐らく、男性の歪んだ自己愛に付き合わされただけで、愛されていた訳ではなかったということに気づきたくなかったのだ。
お相手は、付き合っている時は本当に愛してくれていた。言葉や表情からもすごく伝わってきた。でも、自分を無条件に愛してくれるから愛してくれていただけだ。私の魅力に惚れたわけでは決してない。
それに、わたしは彼の中での優先順位がすごく低かった。彼はお友達や会社の人にはものすごく気を使う人だ。きっと優しい人だと思われているだろう。でも、それは無理をしている上での評価だ。本当の彼は、自己愛で残忍だ。
わたしは毎日サンドバックのようだった。でも彼は自分のことを愛してくれる存在を失いたくはないから、巧妙な手を使ってモラハラをしてくる。そんなつもりではなかったといくらでも言い訳できるように。
いつしかわたしの心はボロボロになった。元々自尊心のカケラも持ち合わせていない私が、更にボロ雑巾のような精神状態に陥った。
自尊心のカケラも持ち合わせていない私でも、過去の経験から、自分は男性から愛されて大切にされるという自信だけはあった。
そう信じていたところのモラハラ被害。遂に私は男からもサンドバックにされてしまうのか。彼の心の穴を埋め、心ない言葉に傷つき、ストレスのはけ口にされ、女としての自信を失う。わずかに残っていた希望も打ち砕かれた。
私の心には何も残ってはいない。ボロ雑巾になってしまった。
男性への不信感、心の傷、トラウマ、怒りや怨念だけが残ってしまった。
モラハラは想像以上に被害に合うとしんどく、後を引く。生気を吸い取られるのだ。
モラハラは許せない。残忍で卑劣な行為。
しかし、自分が幸せになる為には、負けてはいけない。
諦めって大切。
母親と言い合いになった。
こちらの言い分は全否定だった。そして、人間まるごと否定された。まるで、自分が一番正しく不幸のように。
いつもそうなんだ。周りが悪いと思っているし、自分の非は絶対に認めない。非を指摘するもんなら全力でこちらを否定してかかる。
その言葉は壮絶で、一瞬にして死にたくなる。今もついさっきまでは、希望に満ち溢れていたはずなのに、自分なんて無価値な最悪な人間だと思っている。
やはり、無理なんだ。わかり合うのは。非を認めさせるのは。愛情を求めたって返ってきやしないんだ。そもそも持っていないから。人を全否定することは持ち合わせているけれど、無条件に人を愛する気持ちは持ち合わせていないんだ。
すごく残念だ。自分の親は、もっと話のわかる人間で、心優しい人だと思っていたし、期待していた。
そもそもわたしの想像や希望とは違ったんだ。
諦めよう。相手は変わらない。自分の考えや気持ちの持ち方を変えるしか、幸せになる方法はない。
もう何を期待したって無駄だ。
親と言えども、他人だし、分かり合えない親子もいるだろう。仕方ない。
ああいう人間なんだ。
わたしはそうはならないようにしよう。人の気持ちが分かる、思いやりを持った余裕のある人間になろう。
子どもができたら、余裕のある心で全力で子どもを全肯定して愛してあげよう。子どもにとって、聖母でいよう。
もう分かり合えないんだ。永遠に。分かり合えないことが分かったから、これで良いんじゃないか。一歩成長だ。
自分を守ろう全力で。
わたしは全力で生きてるし、人に優しくできる人間だし大丈夫。そのままで十分素敵だよ。
理想の恋人
素敵な恋人欲しいな〜と思ったので、理想のダーリンを書き出してみた☺️✨
・わたしのこと守ってくれる
・素直で誠実
・余裕がある
・精神的に安定している
・しっかり者
・仕事熱心
・真面目
・思いやりの精神がある
・わたしのことが大好き
・身長176センチくらい
・体重67キロくらい
・穏やか
・人の気持ちに寄り添える
・向上心がある
・人生に目標がある
・頼り甲斐がある
・甲斐性がある
・彼女家族友達を大切にしている
・一生寄り添える
こんな感じかな!
めちゃくちゃ素敵だわ。わたしもこんな女性にならないとな。
恋愛ってものすごく難しい。でもさ、お互いが相手を思いやる気持ちがあれば、必ず素敵な恋愛になると思う。同性の友達同士でもさ、思いやりの気持ちのある人達ってそれだけで素敵な関係だし。
思いやりの気持ちさえ持っていれば、かけがえのない関係になれると思うんだ。ちがうかな?
わたしは次に恋愛をした時は、自分で自分のことを好きになれる恋愛がしたい。その人と付き合うことによって、新しい自分を発見したり、向上したいって思ったり、時には弱くなったり。自分で自分のことを認められる恋愛。そして、相手にもおんなじように思って欲しい。わたしの中での素敵な恋愛は今のところこんな感じだな〜。
前だけを見て楽しく生きて行こう。負けちゃダメだぜ。
素敵な恋愛をするんだ。
やってみよう
久しぶりに、今までのブログ記事を読み返してみた。
あ〜〜〜病んでるわ。でも、めっちゃ病んでるけど、どこかで希望持ってる自分がいる。
只今、人生に躓いている。激しく躓いている。でも、良いのかな??これも自分の大切な人生の一部だもん。
最初の記事に遺言のつもりで書きましょうと書いてたので、以下遺言を本気で書いてみたいと思います。
今日でわたしの人生は終わりを迎えるそうです。何も成し遂げてはいないけど、不思議と達成感が半端無いです。色々なことに耐えてきました。もうお腹いっぱいです。もう耐えるのは嫌だから丁度良かったです。学校へも行きました、社会にも出ました、恋もしました。十分です。満足感たっぷりあります。いっぱい耐えてきた分、人間について、人生について、たくさん考える機会がありました。頭がおかしくなるくらい考え抜きました。周囲の劣悪さ、自分のダメさ、そんなものに向き合うことは非常に神経をすり減らします。こんなに考えたけれど、自分が慈悲深い人格者になれた実感は一切ありません。しんどいけど、得たものは何もないという感じです。人生楽しみたい、キラキラしたいなんていう妄想をたくさんしました。それを叶えたいと本気で思う日々もありました。きっと、辛かったのだと思います。もがいても、そんな夢のような人生に何一つ近づいていないのですから。もがくことにもいい加減疲れたので、今日で終わりを迎えることは喜ばしいことです。人生後悔はしていません。やり切りました。達成感でいっぱいです。もし、明日からも命が続くのだとしたら、死んだように生きるのも良いのかもしれません。ただ過ぎていく日々をあるがままに過ごすのです。川を流れる落ち葉のように。賞賛も成功もいらないし、求めないのです。日々淡々と過ごすのです。誰にも干渉されず、ただ生きるのです。明日からも命が続くのなら、このように生きると楽なのかもしれません。ただただ、今は達成感があります。人生の1stステージを終えました。明日があるのならば、明日からは2ndステージです。
1stステージは、とても忍耐のステージでした。気づきが多いステージでした。綱渡りのようなステージでした。全身全霊をかけたステージだったので、2ndステージを駆け抜ける力が残っておりません。2ndステージでは、流されるままにゆらゆらと行くことになるでしょう。熱く生きたいと願っているけれど、もう熱く生きた後なのかもしれません。燃え尽き症候群です。だから私は今日死ぬのです。目標は達成しました。まだ出来ていないことは、楽しく穏やかな日々を送ることです。
とにかく1stステージが今日で終わるようなのでホッとしています。素敵です。なんと喜ばしいことなんでしょう。